心を許したとわかるとこどもたちはとことん関わろうとする

もう一つのルーティン

子供たちが植えたブロッコリー

子供たちが植えたブロッコリー

バスから降り、朝のマラソンを終え、マリア様へのご挨拶も終わり、靴脱ぎ場で靴の砂を落として部屋に入るというのが流れ。しかし、Bさんの二人組女子にはもう一つのルーティンがある。「園長先生は?」事務所の窓口で声をかけること。今朝も来た。「おはようございます」と言いながら顔を出すと、「あ、メガネをかけている!」メガネをかけていることは分っていることなので、翻訳すれば次のようになる。「今日はメガネが違う。」読書用は黒ブチなので子供たちにとっては新鮮。初めて見る黒ブチメガネの園長先生に感動?したものだから、「あっ!」と驚いて、余計な修飾語を考えるゆとりもなく「メガネをかけている!」となった。深読みかな?

敏感期

施肥もなくすくすくと育ち沢山の実がなる

施肥もなくすくすくと育ち沢山の実がなる

それにしても子供たちのこの目ざとさはなんなんだろう。何事も新鮮なまなざしで見届けようとする大切なセンスを磨いているようで大事にしたいとは思う。とはいっても、人であれ、小さな虫たちであれ、こうした敏感期は長くは続かないという。3歳をピークに次第に鈍感度が増すというから悲しい。考えてみると、大人になってある程度鈍感にならないと、傷つくことが多くて身が持たないからという神様の配剤なのもしれないが、失いたくないことではある。

ようい!ピー!

ワット神父家の愛犬のようにリラックスが最高

ワット神父家の愛犬のようにリラックスが最高

失いたくないといえば、Cさんたちのかけっこの練習は何度見ても楽しい。そのCさんの中でAちゃんのマイペースは群を抜いている。最年少のBくんの伴奏をしたり、果ては、出発ラインのそばに立って親指と人差し指を口にくわえ、「ようい!ドン!」とともに「ピイー!」。ボクにも難しいのにクリアーな音色に一同びっくり。本人は澄ましてまたどこかに行ってしまったが、あの高度な指笛の技術を、いつ、誰が教えたのか?そのうち、幼稚園中で指笛が鳴り響くようになったら楽しい。