学校の「当たり前」をやめた校長先生の教育論は生き方改革を迫る福音

宿題問題

体育生活発表会の余韻がまだ

体育生活発表会の余韻がまだ

学校の「当たり前」をやめた。著者は、千代田区立麹町中学校の校長先生。毎週届く教育新聞で知った。過激なタイトルに早速注文した。わずか2日で落手できたことにも驚いたが、何よりも、宿題不要論は、60数年の時空を超えて今はなき故郷の校舎や先生との邂逅をもたらした。夏休み明け3日前に仕上げた欺瞞に満ちた日記帳。「よくできました」との評価とともに展示された面映ゆさ。「先生をごまかすなんてチョロイもんだ」との感想を持ったことなどなど。校長先生の体験?はこうだ。漢字の書き取りの宿題。同じ漢字を20回書くとして、先ずはヘンを先に20回書いてたら次につくりを20回書く。これは「作業」であって勉強ではない。だから、そんな宿題は不要。出すなら、分からないところを分かるように促すのでないと意味がない。なるほどそうかと思う。

学校は手段

それでも花開くことを祈りたい

それでも花開くことを祈りたい

もっとも共感したのは頭髪や服装検査の廃止。そうしたことはPTAに一任。なぜなら、学校というのは将来子供たちがよりよく生きるための手段に過ぎず、学校が目的ではない。確かに、秩序を守るための厳しい校則は学校が目的になっているからであって学校が感知することではない、と第三者のボクでも思う。「上位の目標を忘れない」という先生の理念からすれば当然だ。学校そのものが上位の目標ではないという発想は斬新なだけでなく教育のみならず、人が生きるときの本質的な視点だと言えるのではないか。いずれにしても、校長先生の改革には、「常に上位の目標は何かを問うべき」だという預言者的な問いを感じる。先生でなくても一読の価値のある本。