納豆と豆腐は中身は同じでも、個のよさ輝く「ナットウ集団」へ、の記事に納得

ナットウ集団

椿と聖母子

椿と聖母子

豆腐は豆がつぶされて原型をとどめないが、納豆の場合は一粒一粒の原型は壊されずに残っている。しかも、かき混ぜればかき混ぜるほどねばねばが増し、そのうち一粒一粒を覆ってしまうほどになる。それでも、豆は形を保っている。一方、豆腐は完全につぶされて画一的な四角に形を変える。教育の世界で評価されるのは納豆の方で、クラス運営では「ナットウ集団」こそが目標とされるのだという。昨日届いた日本教育新聞、幼稚園の頁で知った。

不揃いとネバネバ

不揃いでも個が光る

不揃いでも個が光る

なるほど、納豆と豆腐の違いを教育論で展開するとはさすがに教育者らしい。「私たちは神様の手作り」(エフェソ書2,10参照)という視点から、画一的な既製品との違いを説くことはあるが、「納豆と豆腐の違い」という視点はとても新鮮に響いた。しかも、「手作りの味は不揃い」という視点は、個性を強調する点では長けているが、納豆のネバネバ論には見劣りする。個性が独りよがりの生き方を助長するとのそしりが懸念されるからだ。その点、納豆はネバネバとお互いに引っ張り合って孤立することはない。不揃いとネバネバ、いいね。